インビジブル



★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


古くはギリシア時代から着想があったという透明人間。「もしも人間が透明になったならば、モラルを喪失して悪行に走るだろう」などと、プラトンも書いているそうだ。


渡米後も問題作を連発しているオランダ人ポール・ヴァーホーヴェンの『インビジブル』は、まさにそれを地で行く内容。ちっともグレートな人間が出ない時代劇『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(1985)、アイデンティティを失ったサイボーグ警官のSF『ロボコップ』(1987)、失われた記憶を捜し求めるシュワ大暴れのSF『トータル・リコール』(1990)、過激な描写と内容で大ヒットのスリラー『氷の微笑』(1992)、ベガスのショーの裏側を描いた『ショーガール』(1995)、昆虫異星人との戦争SF『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)等、極端なヴァイオレンス&セックス描写で物議を醸しているバホちゃん。今度は彼にしては意外にマトモな映画。とはいえ、人の心臓を鷲掴みするような悪意に満ちた描写は相変わらず、心安らぐ映画をお求めの向きには合わないのはいつも通りだ。


分子をモチーフにしたと思わしき浮遊するタイトルバックに、ジェリー・ゴールドスミスの不思議で実験的な曲が流れ、何となく心安らぐ始まり。しかしタイトルが終わるといきなりのショッキングな場面で驚かせる。『氷の微笑』『スターシップ・トクルーパーズ』でも冒頭で驚かせたバホちゃんらしい。にんまりした顔が思い浮かぶようだ。


天才科学者ケイン(ケヴィン・ベーコン)率いるチームは、国防総省の元で超極秘研究を行っていた。まず犬やゴリラを透明化することに成功するのだが、透明ゴリラを復元(?)する描写が非常に精巧に出来ていて、目を奪われる。注射液が入り込んだ血管から心臓が見え、次第に骨格・筋肉・神経などが現われてくるのだ。スリリングかつグロテスクな描写で、これは素晴らしい。オリジナリティ溢れるCGIの使い方だ。


ケインは自己顕示欲の塊で、狡猾・傲慢・女性蔑視、趣味は覗きときている。そして同僚であるかつての恋人(エリザベス・シュー)がどんな男と付き合っているのか、と猜疑心に捕らわれている。演ずるベーコンも手馴れたもので楽しげ。こんなイヤな男が暴走するのが最大の見物という訳だ。


自己顕示欲の塊なものだから、人類初の透明人間に立候補するのは当然のこと。この透明化プロセスがゴリラの場面よりもさらにショッキングだ。苦しみ悶える全裸のケインが、やがて皮が無くなり筋組織剥き出しの姿になる。思い出してもらいたい、理科室にあった内部組織が露出した人体模型を…。それが苦しみわめきちらし、のたうち回るのだ。悪夢のような光景とはこのこと。やがて筋肉・内臓が消え、最後に残った骨格も消え…というプロセスがかなり克明に描かれていく。但し臭って来るほど肉感的なCGIではなかった。非常にリアルな描写が可能になったとは言え、まだまだCGI技術も発展の余地を残している。それでもヴァーホーヴェンらしい内臓感覚満点だ。


透明化と共に、只でさえ薄いケインのモラルは喪失されていく。同僚女性へのセクハラ、研究所を脱走してのレイプ、殺人、破壊活動と、精神の崩壊と共に暴走。後半は完全なサスペンス・ホラーへと映画は変貌していく。


映画の半分は顔の見えないベーコンだが、危険な撮影を除いては本人が演じており、その熱演には頭が下がる(『月刊 Premiere 2000年11月号』記載の『僕が透明人間になった理由』というベーコン自身の撮影日誌によると、かなり過酷な現場だったようだ)。御蔭で史上最悪・最凶の透明人間は、かなりインパクトの強いものになった。その熱演の前では、健闘しているシューの陰も薄れるのは仕方ないだろう。いや、彼女は悪く無いのだけどね。


人間のモラルとは何によって保たれているのか。中々興味深い題材だ。よく言われるではないか、「日本人は周りの目を気にする人種だ」と。この映画が扱っているのはずばりそのもの。他人に見えない存在となったならば、モラルも除々に失われていくのではないか。この映画はそういった実験でもある。


まぁ、でもこの映画は最新特撮という武器を身に付けた透明人間の暴れっぷりを楽しむ映画、典型的なヴァーホーヴェン映画なのである。彼の映画にはSFだろうが、スリラーだろうが、青春映画だろうが、共感を呼ぶ人物は一人も登場しない。仲間を次々と血祭りに上げ、ドスの効いた音楽と共に徹底的な破壊の限りを尽くすケインのエスカレート振りに、声援を送りたくなろうというもの。


単純と言えば単純、原題通りに空っぽ(Hollow)と言えば空っぽ。あとスプーン一杯のドラマがあればとか、脇役はティッシュみたいにぺらぺらだとか、後半が単なるホラーになってしまうとか、突っ込みを入れたら切りが無い。でも正直に言おう。僕はこの映画を大いに楽しんだ。粗っぽいながらも畳み掛ける展開に引き込まれ、肝を冷や冷やさせられた。特にクライマクスのエレベーターの場面は手に汗握り、新手にも唸らされた。


脚本は『エアフォース・ワン』(1997)、『エンド・オブ・デイズ』(1999)のアンドリュー・W・マーロウ。細かい個所に工夫を見せ、この種の映画の成功の秘訣はディテールにあることをきちんと知っている。特に透明人間の見せ方にこだわりをみせる。水や煙、果ては血糊まで、あの手この手を使ってケインの姿をちらちらと映し出す。『スターシップ・トゥルーパーズ』で意気投合した特撮マンたち、スコット・E・アンダーソンとフィル・ティペットらの腕の見せ所でもある。こういった細部がSF映画には必要なのだ。


製作費の殆どは特撮に消えたのだろう、作品としての規模は小さめでも、監督が自分の持ち味を出し、それが面白いんだから、B級映画としては成功だ。特にハリウッドに居を構えるとアメリカナイズされる外国人監督が多い中、どこまでも我が道を行くポール・ヴァーホーヴェン。こうなったら、こっちだってどこまでも付いて行こうじゃないか。


インビジブル
Hollow Man