グラディエーター


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


グラディエーター』は最近とんと製作されなくなった古代ローマ帝国が舞台の大作だ。「今どき剣とサンダルの映画なんて・・・」と思われる向きもあろう。しかしリドリー・スコット監督のこの作品は、幾つかの欠点はあるものの、パワフルな演技と圧倒的迫力の映像で目が離せない出来上がりとなっている。


映画は将軍アエリウス・マキシマス(ラッセル・クロウ)率いるローマ帝国軍が、北の蛮族であるゲルマン民族との戦闘準備を進めているところから幕を明ける。ローマ帝国ものなのにいきなり雪がしんしんと降る森が舞台、というのがまず意表を突く。麦畑の故郷に思いを馳せる主人公がはっと現実に戻ると、そこは荒涼とした戦場だ。こういった描写は映像派スコットの面目躍如。やがて画面は否応無しに緊張の度合いを高めて行き(ハンス・ジマーの音楽が効果的)、この後両軍の激しい戦闘が幕を切って落とされる。千人はいようかという大軍同士の激しい白兵戦が繰り広げられ、接写による映像が接近戦の迫力を実感させる。ストロボ効果的映像は『プライベート・ライアン』(1998)からの影響だろう。


この戦闘場面では、時折挿入されるロングショットのタイミングが素晴らしい。左右いっぱいの構図で、手前側にローマの大軍、向こう側に蛮族が配置され、何百という火矢が飛び交う様をゆっくりパンしていく映像は、久々の映画的興奮を味わせてくれた。その一方で戦争の虚しさ、残虐さを描くことも忘れていない。中でも印象深いのが、ローマ軍後方にて戦闘を見守るマルクス・アウレリウス皇帝(リチャード・ハリス)の表情。その虚無的な面持ちに戦争そのものが集約されている。


面白いことにローマ帝国皇位継承は必ずしも世襲制ではなかったようだ。皇帝は血縁にこだわらず優れた人物を養子とし、後継者として託した。そうすることによって帝国の腐敗を防ごうとしたのだ。ところが優れた皇帝であり哲学者だったアウレリウスは、何故か愚息のコモドゥスに皇帝の座を譲ってしまう。この歴史の謎にフィクションとしての回答を出しているのがこの映画、という訳だ。


アウレリウスは、優秀な軍人で人望厚いマキシマスに皇位を譲るつもりだったが、それを知ったコモドゥスホアキン・フェニックス)は父を殺害、自ら皇帝となり、マキシマスの処刑を謀る。フィーニックスは父から愛を授からなかった為に歪んでしまった青年を好演。憎々しく病的な性格の中に孤独と悲哀を込めるのに成功している。


間一髪、マキシマスは危機を逃れ故郷に急ぐが、妻子は先手を取った暗殺者達の手に掛かり無残な姿をさらしていた。失意のどん底に落とされるマキシマスをラッセル・クロウは精一杯の熱演で表している。


この映画は何よりもクロウの映画だ。同時期に公開の『インサイダー』(1999)の、感情を押し殺した中年男とはまるで別人。パワフルで精悍、カリスマティックでありながら苦闘し、復讐を誓う男を、本当に魅力的に演じている。この映画は彼あっての映画だ。『L.A.コンフィデンシャル』(1997)の刑事とはまた別の、タフなヒーローの誕生だ。


マキシマスは奴隷に身を落とし、剣闘士(グラディエーター)を養成する奴隷商人プロキシモ(オリヴァー・リード)に買われる。この映画の撮影中に死去したリード最後の演技を、しかと心に刻み付けたいものだ。アウレリウスに一度だけ会ったことを誇りにしている奴隷商人像を、リードは豪胆に彫り上げた。


剣闘士同士を闘わせて血と死を娯楽にする。このぞっとするショーにマキシマスは駆り出される。歴戦の勇者だった彼は向かう所敵無し。やがてローマのコロッセオにて行われる、コモドゥス主催の大会に出場することになる。マキシマスは復讐の機会を逃すまいとするが・・・。


特撮と巨大セットで描かれた古都ローマは壮観。冒頭の戦闘シーンといい、これといい、劇場の大画面で観るに相応しい映像だ。ここで繰り広げられる殺戮ショーと熱狂は、人間の根源的なものなのだろう。マキシマスが自らのチームを率い、圧倒的不利な状況をチームワークで跳ね返し、戦車に乗った相手チームを倒すシーンは、凄まじい迫力と興奮がある。ここは映画のハイライトの一つ。但し撮り方に不満がある。冒頭の戦闘シーンでは、時折挟み込まれるロングショットにより状況がはっきり分かったのに対し、このシーンは主に接写でのみ描かれているので分かりにくい。最近のアクション映画はやたらと揺れるクロースアップで誤魔化そうとする傾向が強く、スコットも前作『G.I.ジェーン』(1997)同様にこの手法に陥ってしまった。他のシーンではそうでも無いだけに残念だ。


この作品の難点は脚本が雑なこと。デヴィッド・フランゾーニ(『アミスタッド』(1997))とウィリアム・ニコルソン(『永遠の愛に生きて』(1997))は、マキシマスとコモドゥスには注意を払っているが、それ以外の人物には無関心なのだろうか。浅薄な人物像はハリス、リードらの演技に助けられているくらい。かつてマキシマスを愛したコモドゥスの姉ルシラ(コニー・ニールセン)の扱いも勿体無い。マキシマスと彼女の安易なキスシーンなど書かずに、脇の人物たちをもっと掘り下げるべきだった。さらに、皇帝と元老院の関係もきちんと描くべきだろう。後半、一応マキシマスも絡んでくるのだが繋がりが弱い。映像が一流なだけに、脚本の脆弱さが気になる。


またハンス・ジマーの音楽は、冒頭ではワルツのリズムに乗って繰り広げられる戦闘シーンでは効果的だが、要所でホルストやワグナーからの露骨な引用が耳障りで、作品の格を間違いなく下げている。自身の個性やオリジナリティはどうなった、と首を傾げたくなる。


それでもスコットのパワフルでスピーディー、且つ重厚な演出には圧倒される。ローマ帝国ものの名作であるウィリアム・ワイラーの『ベン・ハー』(1959)、スタンリー・クーブリックの『スパルタカス』(1960)から説教臭さを抜き取り、娯楽色を前面に出した作風は現代的。そこに加味されるのが、デヴュー作『デュエリスト/決闘者』(1976)、『1492/コロンブス』(1992)といったコスチューム劇でも発揮されていた、コスチューム・プレイでのディテールへのこだわりだ。これを見逃す手はない。


劇場の大画面・大音響で御覧になることをお勧めしたい。


グラディエーター
Gladiator