ファンタジア 2000


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


『ファンタジア』は1940年に作られた名作ディズニーアニメだ。『トッカータとフーガ』、『くるみ割り人形』、『春の祭典』、『禿山の一夜』等の名曲クラシックに、アニメーターたちが自由な発想で絵を付けるという試みは、当時は酷評さた。しかし幾度ものリバイバルを経て、評価が高まっていったのである。


ウォルト・ディズニー自身は曲を少しずつ入れ替え、何年かおきに公開するつもりだったが、彼自身は果たせなかった。今回の『ファンタジア2000』はウォルトの甥ロイが製作総指揮を担い、最新技術を駆使してのリメイク版だ。オリジナル版の曲で残ったのはデュカの『魔法使いの弟子』のみ。他は全て新作である。


前作の指揮者ストコフスキーは、クラシックの普及に努めた功労者としても有名である。今回のジェイムズ・レヴァインも、親しみやすい演奏を心掛けているように思えた。曲もコンパクトな時間に編曲されていた(演奏はシカゴ交響楽団)。


前作は世界初のステレオ、しかも初のサラウンド実用化というサウンド面では画期的なものだった。レコードがまだモノーラルしか無かった時代、ステレオのみならずサラウンドまで導入したディズニーの意気込みたるや。それに対し、今回のイベントは巨大画面のアイマックス方式上映。新宿タイムズスクェア内東京アイマックスシアターは文字通り満席だった。この作品は3-Dではないものの、恐ろしく巨大な画面と立体音響によって、観客は絵と音にもみくちゃにされる。この夏以降は通常の35ミリ版で、一曲増やして一般劇場公開もするそうだ。


まず手始めにスティーヴ・マーティンの紹介によるベートーヴェン『運命』。前作のバッハ『トッカータとフーガ』をなぞるが如く、特定のストーリーもキャラクターも登場しない、イメージ編だ。だが余りにも『トッカータ〜』に酷似していたので、余り感銘を受けなかった。


以降、ベット・ミドラークインシー・ジョーンズら、豪華メンバーによる各曲紹介が続き、観客を楽しませる。


次にレスピーギ交響詩 ローマの松』。空を飛ぶクジラ親子の物語で、これは迫力があった。特にクライマクス、群れをなしたクジラの飛翔は圧巻だ。たむらしげるの『クジラの飛翔』にインスパイアされた?(僕は未見だが)


ガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』はディズニーらしからぬラフな線画アニメ。大都会での複数の人間ドラマが同時進行していく作りだ。伏線やシナリオが余り面白くなく、音楽と絵のシンクロも今一つ。


ショスタコービッチの『ピアノ協奏曲2番』は、童話『すずの人形』の物語。CGの硬質な質感が内容に合っている。コンパクトにまとまっていたが、はっとする場面に乏しい。


最もコンパクトなのは、わずか数分のサン=サーンス『動物の謝肉祭』。フラミンゴがヨーヨーを手に(足に?)したら、という突飛も無い発想から生まれた好編だ。これは愉快だった。


オリジナル版の傑作、デュカの『魔法使いの弟子』はフィルムと音声を修復・リミックスしての登場。60年前の演奏も特に耳障りではなく、僕が持っているLDよりも綺麗に聞こえた。ミッキーの巻き起こす騒動に笑おう。他の作品に比べて画質はかなり落ちるが、傑作色褪せずとはこのこと。


エルガーの『威風堂々』は、ドナルドとその彼女デイジーダック主演によるノアの箱舟編。これも愉快で、かつアイマックスならではのスペクタクルが体験出来る。


スペクタキュラーなラストを飾るのは、ストラヴィンスキーの『火の鳥』。大画面に映える。『もののけ姫』(1997)を思い出させる、妖精らが繰り広げる生と死・再生の物語。ここでもCGならではのダイナミックな映像が堪能出来る。これも気に入った。


全体としての完成度としては若干疑問を持った。前作に限らず、ディズニーアニメは音楽と絵のシンクロが本当に見事で、それが独特の躍動感をもたらしていたのだ。実際とは逆に、先に絵を作り後から曲を付けたか、と錯覚する程の出来映えだった。絵と曲は濃密な関係をたたえていたのだ。しかし今回は絵と曲の関係が希薄に感じられた。”絵の技術”は格段に進歩したが、”動く絵を生み出す芸”は継承されなかったのだろうか。『魔法使いの弟子』の絵と音がいくら古びていても、他の作品と格が違うとはっきり分かるのはその為だ。


しかしこの大迫力を見逃す手は無い。『ファンタジア 2000』体験の価値はありだ。


ファンタジア 2000
Fantasia/2000