娼婦ベロニカ



★film rating: B
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


真っ赤なヴェルヴェットに横たわるスリップ姿の美女。タイトルは『Dangerous Beauty(危険な美女)』。アメリカで発売されたLD、VHS等のジャケットはこんなデザインだった。主演のキャサリン・マコーマックの演技も高い評価ということで期待は高まるじゃないか。リンダ・フィオレンティーノ主演の傑作『甘い毒』のような、セクシー系悪女ミステリかと思いきや…16世紀のヴェネツィアの風俗描写がとても面白い、真面目な時代劇であった。


北米ではワーナー配給の『Dangerous Beauty』改め、日本を含む海外では20世紀フォックス配給の『A Destiny of Her Own』は、ざっとこんな内容だ。


ヴェロニカ(マコーマック)は家が貧しい為に、大金持ちの息子マルコ(ルーファス・シーウェル)と結婚出来ない。当時は金持ちとの結婚には莫大な持参金が必要だったのだ。マルコもヴェロニカを諦め、親が決めた政略結婚を選ぶ。マルコを諦めきれないヴェロニカは、母親(ジャクリーン・ビセット)から高級娼婦=コーティザン(Coutesan)になることを薦められる。実は母親も若い頃にコーティザンだったのだ。コーティザンならば、貴族のマルコと結婚は出来なくとも付き合えることは出来る、という訳だ。


今の価値観からするととんでもない母親だが、当時の女性の社会的立場を考えると納得出来るものもある。家庭に入る女は文字通り夫に忠実な妻として家庭に縛られ、日中も自由に外出出来ず、図書館に入ることすら許されず、にっこり微笑むことぐらいしかできない。夫の所有物であり、家系を絶やさない為の出産の道具でしかないのだ。コーティザンは貴族や政治家などの上流階級の男を相手にするので、ベッドでの技術だけ持ち合せているだけではない。美しいのは無論のこと、ウィットやユーモアに富み、作法や知識も備えていなければならないのだ。日中も外をおおっぴらに歩け、女人禁制の図書館での勉強さえ許されるのである。


妻達が自由の無い家庭という煉獄に入るのに対し、コーティザンは一見何不自由無く見える。大金は入ってくるし、贅沢な暮らしは出来る。有力者たちに誉めそやされ、才能を認められる。しかし彼女達も若い内だけが華、やがては場末の売春婦になる身分だ。極端ではあるが、どっちにころんでも女にとっては煉獄。夫達に振り向いてもらえない妻達の描写もあり、脚本家のジャニン・ドミニーは女性の社会的立場の描写に力を入れている。


家庭に入る女も、コーティザンも、男たちの身勝手さゆえの犠牲者だ。だがヴェロニカはこれを逆手にとって、欲望と上流階級の海を泳ぐのである。これが痛快だ。


ヴェロニカは母親の手引きで特訓を受けることになる。このシークェンスがユーモラス且つ緻密で興味を引かれた。今流行っている、底が高い靴の原点らしきものも出て来る。背景も運河の街という絶好のロケーション。ロケだと思っていたら、これら全てセットというのだから、改めてアメリカ映画のスケールには恐れ入る。映像も暖色系で統一し、当時のイタリア絵画の色彩を再現して良い。


元々書に親しんでいた才気活発なヴェロニカにとって、図書館は知の宮殿。勉強に対するのめり込み具合も簡潔に描写されている。母譲りの美貌と特訓の成果で遂に上流社会デヴュー。たちまち大物たちの間で話題となり、引く手あまたの存在になる。何せ母親が70年代に光り輝いていた絶世の美人スター、ジャクリーン・ビセットなのだから、というのは冗談だが。


以前にも増して美しくなった彼女を見たマルコは再び言い寄ってくる。窓の下に流れる運河にボートを繰り出して口説く姿は、イタリアらしいのどかさ。しかしヴェロニカにも意地があるので、「予約で一杯よ」などと軽くあしらわれる始末。詩人でマルコの従弟マフィオ(オリヴァー・プラット)も言い寄るが、まるで相手にされない。面白く無いマフィオはレディとして、詩人として誉めそやされる彼女に嫉妬心を燃やし、詩で彼女を中傷する。大きな庭園で豪奢な衣装を纏った貴族たちが見物する中で、詩の決闘から本当のチャンバラに展開するこのシーンも面白い。傷を負ったヴェロニカの元にマルコは駆け付け、再び2人は恋仲になる。やがてヴェロニカはベネツィア共和国を救うことにもなる、という波乱万丈の物語。実はヴェロニカ・フランコは実在の人物で、詩人としても著作を残している才人。詩を詠み国を救った娼婦がいたという史実に驚かされる。


マルコと再び付き合い始めたヴェロニカはコーティザンから足を洗う。しかしペストの流行に伴い、「娼婦は悪の手先」と魔女狩りの標的となり、裁判に掛けられる。買った男たちは非難されること無く、売った女のみが責められるのだ。魔女と断定されれば死刑。審問官はあのマフィオだ。彼女には容赦無い糾弾が待っていた。


ここまで楽しめるものの、僕はどうにも不満だった。きちんとしたプロダクション作品にも関わらず、シナリオも演出もどうも描写がテレビ的。全体の物語や先に書いたエピソードは面白いのだが、厚みも弾みも映画らしい欠けている。監督のマーシャル・ハースコヴィッツは予想通りにテレビ出身の人。大作映画は荷が重かったのか。生真面目過ぎて演出に強さ感じられない。ゆとりとスケール感が伝わって来ないのだ。もっと力のある監督に奔放に描いて欲しかった。


ところがそこはアメリカ映画。法廷ものというジャンルがあるくらいだから、この手のシーンはさすが上手い。追い詰められるヴェロニカを、自らの命を賭して救おうとするマルコの姿も映画を盛り上げる。しかしかえってこのシーンで映画の弱点が露呈してしまうのだ。


最初はプラトニックな関係だったヴェロニカとマルコ。マルコは娼婦になった彼女のどこに惹かれたのか、映画の中ではそこが曖昧だ。心なのか知性なのか、あるいは肉体なのか。どうせならばさらに美しくなった彼女の外見にまず惹かれ、やがて身も心も狂おしい程に魅せられ、それがクライマクスでの行動へと昇華されていく、ときっちり描けば説得力も増しただろうに。そうすれば映画の感動も余計に盛り上がったのではないだろうか。その部分、脚本は描けていない。


主演のキャサリン・マコーマックは熱演。母親役ジャクリーン・ビセットとは本当に親子のよう。ビセットに比べて華に欠けても、セクシー系ではなく知的な美人なのも良かった。地に足のついたしっかりとした演技も見せてくれる。彼女やケイト・ウィンスレットレイチェル・ワイズら、イギリス出身の若手美人演技派は元気が良いので頼もしいことだ。


抜群に面白い題材を調理し切れなかった演出と脚本にうらみが残るものの、キャサリン・マコーマックの演技と、豪華なプロダクション・デザインや衣装、美しい撮影が収穫の作品だ。


娼婦ベロニカ
Dangerous Beauty aka: A Destiny of Her Own

  • 1998年/アメリカ/カラー/111分/画面比:2.35:1
  • 映倫(日本):指定無し
  • MPAA(USA):Rated R for some scenes of strong sexuality, and for nudity and language.
  • 劇場公開日:1999.10.23.
  • 鑑賞日:1999.10.30./日比谷シャンテシネ2/ドルビーステレオ
  • 穴埋め的な3週間興行なのでがら空きかと思いきや、226席の劇場の朝1回目は満席。クライマクスで涙を流していた人も多かったので、受けは良かったのだろう。帰りの階段でのおばさん同士の会話が愉快だった。「美しいだけじゃダメなのねぇ」「美しくて頭が良ければ、そりゃ男の人は一緒に居たいと思うわよ」「そーよねー」。そうか、そういう映画だったのか。
  • 公式サイト:http://www.foxjapan.com/movie/comingsoon/index.html