ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。
タランティーノの成功後、映画監督への登竜門として瞬く間に注目を浴びた犯罪映画。ビデオレンタル屋に行けば分かるように、犯罪映画は毎月ボウフラの如く涌き出ている。その中には「第2のタランティーノ」などと宣伝されるものもあった。しかしそれらの作品の中には、タランの書くような腰が据わり、且つ跳ねるダイアログが銃から撃ち出される弾丸と同じくらい(もしくはそれ以上に)にあっただろうか。いやもちろん、全部を観ている訳ではないから断言はできないが、それは甚だ疑問というもの。さらにタランが持つ、暴力とそれに相反する可笑しさ、これを直感的に描ける監督がどれだけいるだろうか。
いやいや、僕は別にタラン信者ではない。『レザボア・ドッグス』(1992)、『パルプ・フィクション』(1994)の才気に興奮したが、『フォー・ルームス』(1995)、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996)でのナマクラ振りには外されたクチだ(その後『ジャッキー・ブラウン』(1997)で深みも身に付けて再登場したのは収穫だったが)。しかし、先に書いたタランの皮膚感覚とでも言うべき独特の才気には、やはり一目置かざるを得ない。そのタランと拮抗する直感の持ち主を久々に新鋭の中に発見した。それも犯罪映画の本場ハリウッドではなく、イギリス映画で。
『Lock,Stock and Two Smoking Barrels』。何とも長いタイトルだ。「一切合財」「全部」を意味する「Lock, Stock and Barrel」から取られたものとか。銃の安全装置を意味するLock、銃床を意味するStock、銃身を意味するBarrelが2つあってそこがSomoking…つまり、2丁の銃口から硝煙が立ち昇っている訳だ。つまりはこの映画、タイトルで分かるように犯罪ものなのである。
さてプロットはと言うとこれがかなり複雑なので、ざっくり紹介しようか。
ここに以下のグループが登場する。
- :主人公ら若者4人組み
- :ギャングのボスとそのユニークな子分ども
- :その子分に使われるマヌケな泥棒2人組
- :数人のメンバーによる暴力団
- :大学出のマリワナ栽培業者連中
- :大学出連中の背後にいる黒人ギャング団
「1」の若者どもが「2」のボスのイカサマ賭博に引っかかり、莫大な借金をしてしまい、1週間以内に返済しなければ1本ずつ指を詰めると脅される。さてどうするか? このメインプロットに「3」以下の一癖も二癖もある連中どもが乱入してきて、事態はややこしい方面へと転がりだす。
ややこしい話しなのだから、全編伏線だらけ。しかし新人ガイ・リッチーは伏線を下手に目立たせず、しかも丹念に描いて行く。神経症的な部分は微塵も感じさせず、実に肝の据わった監督だ。ユニークなキャラクター全員を描きつつ、彼らを物語に絡ませていく手法も、登場人物いっぱいの映画なのに最初の20分で各キャラをきちんと描いているので、話が頭の中で混乱することはない。プロットも火だるまどころか血だるま式に死体が増えて行くのに、嫌悪を感じさせること無く笑いで描くこの才気。本当に楽しい映画だった。リッチー本人も演出や脚本執筆作業が楽しかったに違いない。
非常に強い訛り(英語字幕が出るくらい)に笑える台詞のオンパレード(変態オカマ・クラブなど)も絶品。下品な台詞もこの映画の中では豪華な点心だ。アクション(アクション映画のそれではなく、文字通り”動”)挿入のタイミングも鮮やか。時々安易なMTV映像になりそうで、マイケル・ベイなんぞのぼんくらを思い出して冷やっとする瞬間もあったが、そこはねばり強く踏ん張る。繰り返すが、肝の据わった監督だ。
笑いとダイアログのセンスだけでなく、既成ポップスの使い方にもタランティーノの影響がかいま見える。しかし全編を覆う独特のコメディ感覚はリッチーのオリジナル。それには多分にイギリス下町の雰囲気もあるからだろう。ハリウッドに渡ることがあっても、これがまぐれではなく、面白い作品を作ってもらいたいものだ。
殆ど御馴染みの無い強烈な役者連中の中で、主人公の父親役で登場するスティングが意外といい味を出している。父親も出来る歳になったのだな。貫禄と年輪が醸し出されていた。
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
Lock, Stock and Two Smoking Barrels