ドライヴ



★film rating: A
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

昼は恩人シャノン(ブライアン・クランストン)が経営する自動車整備場で働き、ハリウッド映画のカースタントドライヴァーとしても働く青年(ライアン・ゴズリング)。彼には夜になると強盗逃走請負運転手という別の顔があった。青年はアパートにて幼い子を持つアイリーン(キャリー・マリガン)と知り合い、親しくなりるが、やがて彼女の夫スタンダード(オスカー・アイザック)が出所する。ある日、チンピラ2人組に袋叩きにされたスタンダードを発見した青年は、彼が刑務所でギャングから多額の借金を負い、強盗を強要されている事を知る。青年は人助けのつもりで運転手を買って出るものの、そこには罠が待ち受けていた。


同日に日本公開作が2本あるという、春のライアン・ゴズリング祭り。その内の1本です。間違いなくゴズリングは、今ハリウッドでもっとも勢いのある若手俳優(と言っても今年31歳)の1人。ハンサムですが面長、顔のパーツがやや中心に寄った顔立ちは、人工臭とは縁遠い温かみを感じさせます。どこか人の良さそうなルックスの彼が主演し、監督も自分で選んだというこの犯罪映画は、上映時間は100分と短く、登場人物もかなり限られている小品。非常に人工的で独特の世界を持った異色作でした。静謐さと突発的暴力のコントラストでさえ滑らか。これは暴力の衝動に突き動かされる内気な主人公を快演していたゴズリングの演技にもよります。ハリウッド1美しい頭骨の持ち主であるゴズリングは、極端に口数の少ない名無しの主人公(クレジットでも役名は「Driver」)を表情と身体の動きだけで表現しています。演劇的でない映画的演技と、端正な犯罪映画の相性はかくも良いもの。内気で優しい青年は、物語が進むに連れて内なる暴力への衝動に突き動かされていきます。後半のヴァイオレントな展開は明らかに自己の解放です。静から動への変容。文字通りドライヴァーはギアをチェンジします。彼の行為には正義があるものの、明らかに逸脱、暴走して行くのです。


映画はそのゴズリングと、やはり美しい後頭部の持ち主マリガンとの純愛映画としても成立しています。台詞も演技も最小限に抑えられた淡い恋模様から立ち上がるのは、プラトニックな想い。こう書いていて気恥ずかしささえ感じますが、この映画の狙いは、下手をすると現代映画では笑い草になり得る若い男女の恋模様を、前面にではなく通奏低音とする事のようです。よって生々しく描く事なく適度に現実味を与え、これが不思議な感覚をもたらしています。後半に用意されているエレベーターでのロマンティックなキスシーンは、映画史に残る美しい別れのラヴシーンでもあります。同一ショットの中で微妙に変化する照明も見逃せません。このエレベーターの場面は度肝を抜かれる展開に変化(へんげ)しており、それがまたこの場面を名場面たらしめています。


彼ら美男美女に対するギャングの顔役アルバート・ブルックスロン・パールマンらカラフルな面構えの悪党どもも楽しい。青年の雇い主ブライアン・クランストン、夫役オスカー・アイザック、TVドラマ『マッドメン』で一躍スターになったクリスティナ・ヘンドリックス。それぞれ出番の多い少ないに関わらず、印象に残ります。


映画は序盤に掴みとしての逃走場面を用意しています。このカーチェイスの描き方が緊張感があって渋い。同じく主人公が名無しのドライヴァーで、やはり犯罪の逃走請負をしていたウォルター・ヒルの佳作『ザ・ドライバー』(1979)では、プロの筈なのに何であんなに派手で目立つ運転をするんだ、という故・都築道夫の指摘もありました。これはその回答にもなっています。開巻早々に映画ファンとしてはニヤリとさせられました。


既にあちこちで指摘されている通り、プロットは西部劇の名作『シェーン』(1953)そのままです。正体不明の流れ者が夫と子を持つ女性に恋をしつつ、悪党を成敗して去っていく…。現代都市版西部劇だった前述の『ザ・ドライバー』と違い、また『ザ・ドライバー』に影響を受けたと思しきホセイン・アミニの脚本とも違い、本作の雰囲気は全くもって西部劇ではありません。いえ、現在と過去を交錯させて物語るジェイムズ・サリスの原作小説と違い、アミニによってストレートな構成となった脚本は、西部劇の香りを含ませています。しかし完成した映画版はその残り香も皆無。むしろ贅肉を徹底的に落とし、研ぎ澄まし、観客の心に残るフックを使った描写を散りばめた点においては、原作に近付いた感があります。西部劇はある種神話的側面を持っていますが、本作は鋭い刃を用いて、より神話や寓話の領域に切り込みました。


デンマークの監督ニコラス・ウィンディング・レフンによる演出は、冒頭から緊張を持続させているものの、終幕10分で少々息切れ気味に感じられ、その後のラストシーンで持ち直して締めました。鑑賞直後は少々残念に思えましたが、終幕の2つの殺人は直接描写が無い、カタルシスを与えない手法が取られていないもの。これは殺人ではなく、悪党どもへのある種の天災・天罰であり、主人公が神の領域に達したと示しているのではないか。名も知れぬ青年の殺人は、最終的に人間ではなく神の御業になった…という意味だったのではないか。そう思えてきました。特にラストは、明らかに大ダメージを負っているにも関わらず、です。そう考えると、『ペイルライダー』(1985)といったクリント・イーストウッドの「死人」を主人公にした幾つかの西部劇を連想させました。そして『ペイルライダー』は『シェーン』へのイーストウッドなりの返歌だった事を考えると、本作との繋がりも興味深いものです。


レフンの演出は固い握りこぶしのようにゴツゴツしており、ストイックでありながらパワフル。画や場面の空間を生かした空気醸成や暴力描写の迫力に表れています。特に暴力描写は殆ど見せないか、見せてもほんの一瞬にも関わらず、編集の技巧により強烈なパンチを放ちます。この世界の中を自由に泳ぎ回るゴズリングの体質からすると、今後もコンビを組んでもらいたいと思いました。


音楽はスティーヴン・ソダーバーグ作品を数多く手掛けているクリフ・マルティネス。その楽曲や既成曲の選曲も80年代風エレクトロニック・サウンド。これもどこか現実感の無い雰囲気に大きな影響を与えています。


見終えた後も尾を引く。カタルシスがあると言えばあるし、無いと言えば無い。何とも不思議な感覚の映画です。影響を与えた映画の題は何本も思いつくのは簡単です。前述の『ザ・ドライバー』や、中盤のカーチェイスピーター・イェーツの『ブリット』(1968)でしょう(実際、レフン監督は後者を参考にしたそうです)。夜の闇を切り取ったニュートン・トーマス・サイジェルによるスタイリッシュなHD映像の数々は、マイケル・マンの初期作品の数々(『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(1981)等)を思い出さないのは難しい。それでも『ドライヴ』はユニークな存在です。観た事があっても観た事が無い犯罪映画。様式化された血まみれB級犯罪映画。ニコラス・ウィンディング・レフンという監督の名前は覚えておきましょう。


ドライヴ
Drive

  • 2011年 / アメリカ / カラー / 100分 / 画面比:1.85:1
  • 映倫(日本):R15+(刺激の強い殺傷・出血、肉体損壊の描写が数々みられ、標記区分に指定します。)
  • MPAA(USA):Rated R for strong brutal bloody violence, language and some nudity.
  • 劇場公開日:2012.3.31.
  • 鑑賞日時:2012.3.31.
  • 劇場:TOHOシネマズららぽーと横浜4/デジタル上映。公開初日の土曜日、21時35分からの回、113席のシネコンはほぼ満席。男女比は7:3くらい。
  • 公式サイト:http://drive-movie.jp/ クールな予告編、各界著名人コメントなど。クリフ・マルティネスの音楽が徐々に大きくなるので、音量は要注意。